河南省安陽市の北西に位置する小屯村一帯は、世界的に有名な中国殷(商)王朝後期(紀元前1300-前1046年)の遺跡です。中国史上に文献が残り、甲骨文や発掘資料によって存在が証明された最古の都城遺構でもあります。約24㎢の範囲には、宮殿・宗廟遺構、王陵遺構、庶民の集落跡、墓地、甲骨を埋めた穴、青銅を鋳造した工房などが発掘されています。
宮殿・宗廟遺構は、殷(商)の皇帝が政府や居住用として利用していた場所で、土台を厚く盛り固め、木の柱を立てたり黄土の壁を造ったりして、茅葺きの屋根を葺いていました。これは中国古代の最先端の宮殿建築でした。また、甲骨文約15000個が出土した穴も、主に宮殿・宗廟遺構に分布しています。甲骨文は亀甲や動物の骨に刻まれた古代文字で、特にYH127甲骨窖穴、小屯南地甲骨窖穴、花園荘東地H3甲骨窖穴は内容的にも富んでおり、殷(商)時代の社会生活の一面を知ることができます。これらは人類最古の「書庫」と呼ばれています。
王陵遺構は宮殿・宗廟の遺構と川を隔てて相対する、殷(商)皇帝の御陵であり、祭祀なども行われていました。これまでに中国で見つかった陵墓群としては最古のもので、遺構からは12個の陵墓と2500以上の祭祀用の穴が見つかっています。陵墓の多くは、「亜」「中」「甲」の型をしており、埋葬された棺の空間も広いものがあります。最大の陵墓では面積1803㎡、深さ15mにも達しました。棺は豪華で、埋葬品も美しく、殉葬者も多いことから、中国早期の陵墓建築の中でも最高峰のものとされます。また、青銅器や玉などの発掘文物も、殷(商)代後期の文化や伝統を伝える証拠となっています。