竹は中国では君子とみなされています。「竹色君子徳」、古人は竹を如命し、竹を追思して君子を見るとされています。竹は中国で植物界の清流であり、その色は四季折々に変わらず、数が増えれば空を覆うことさえできるほどで、観賞性と実用性を兼ね備えています。冬と春の竹は貴重な食材であり、中華の飲食文化を豊かにしました。竹はすらりとしていて、生活や労働の道具や芸術の材料としても使われています。中国には「竹文化」と呼ばれるものがあり、それは中国人の衣食住行や娯楽に浸透しているだけでなく、文学、音楽、絵画、宗教、民俗、園林にも浸透しています。
(一)苍翠静怡「竹の境」
中国の浙江省安吉、貴州省赤水、四川省宜賓などの地には、1万ムーの翠竹が生え、竹林が海のように広がっています。
(二)空霊悠揚「竹の声」
「簫は長短さまざまな竹管で作られ、鳳凰の羽のように広がっている」。箏、築、笙、はんなど、竹製楽器は絶えず中国の民楽のメロディーを豊かにしています。
(三)久遠精深「竹の芸」
『詩経』に「淇水の奥地に、緑の竹林があって動物の奇声がする」という詩句から、鄭板橋や白居易などの名家にリードされて中国の画竹や詠竹の風潮が至るまで、竹は中国の審美世界の中で永遠に輝いています。
(四)多種多様「竹の利用」
蘇東坡の「むしろ肉がなくて、竹がなくてはいけない」という感慨から、現代に至るまで竹製品の品薄が続いています。千年以上の変遷を経て、竹の利用は広がり続け、竹は生活態度だけでなく、情愛にまで入り込んでいます。
「流れがさらさらと竹林を揺らす」。今回の展示を契機に、竹の世界に入り、東洋の審美の中で竹の美しい境地を感じてみましょう。展示の終わりに、竹と共に暮らしたり、竹を命のように愛したりする「君子」がいます。この「竹の使者」は一体誰なのでしょうか?