中国駐大阪観光代表処は、中国大陸全土の観光魅力を「癒やし」「三国志」「古文明」「西遊記」「大自然」という五つのテーマで日本の消費者にアピールしています。今回はそのうちの一つ、中国南西部で主に展開する「三国志」の旅を中心に紹介します。魏、呉、蜀という三つの国が覇権を争った三国時代に思いを馳せ、諸葛亮ら名将の足跡をたどってみたいと考えます。
湖北省は中国一の大河長江の中流、中国第2の淡水湖・洞庭湖の北側に位置しています。省都の武漢から100㌔、長江の南岸にある「赤壁古戦場」は三国志の名場面「赤壁の戦い」の舞台です。乱世の後漢末期、華北を統一した曹操軍が交通の要衝だった荊州を治めようと南進を試み、待ち構える劉備と孫権の連合軍と交戦しました。数十万の兵力に対し、数万と数で圧倒的に不利だった連合軍が軍師・諸葛亮と周瑜の策により勝利しました。この戦いで曹操軍は北へ撤退し、劉備の蜀、孫権の呉、曹操の魏という三国が天下を分ける時代となりました。
古戦場は川岸に「赤壁」と赤い文字で刻まれた「赤壁摩崖石刻」が有名で、呉の周瑜が刻んだといわれています。湖北省第2の都市・襄陽では、蜀の諸葛亮が一時、隠匿生活を送った「古隆中」が知られています。頭脳明晰な若き書生・諸葛亮の評判を聞いた劉備が同地に三度出向き、礼を尽くして軍師に迎え入れた故事は「三顧の礼」として有名です。諸葛亮が住んだ庵が今も残っています。
荊州市の「荊州古城」は高さ9㍍、幅10㍍、全長10㌔の城壁を巡らせた堂々たる古城で、蜀の将軍関羽が築いたものです。当陽県の「当陽長坂坡(ちょうはんは)公園」は赤壁の戦いの前哨戦となった「長坂坡の戦い」の舞台です。武漢にある「黄鶴楼」は呉の孫権が築いた楼閣で、同地を代表する名所となっています。